幻の女性騎手事件
女性騎手第一号といえば、昭和44年に18歳でデビューした高橋優子さんということになっているが、実はその30年以上前に幻の女性騎手がいたという。
高橋騎手も女性ゆえの苦労はあったが、昭和初期に女性でありながら騎手を目指すとなると並大抵の苦労ではなかったはずだ。
その苦難の道を進んだのは、大賞2年、岩手県に生まれた斉藤すみという女性。
3歳の頃から馬に乗り、5人の男がかかっても抑えられない荒くれ馬も、彼女の手にかかればビタッとおさまるので馬の生まれ変わりとまでいわれるほどの馬少女だったという。
馬好きがこうじて14歳で馬の仲買人見習いとなったすみは、今度は盛岡市の黄金競馬場で疾走する騎手の姿に魅せられ、騎手になりたいと思ったのである。
そしてある日、親方に打ち明けた。親方は知人を尋ね、才能があれば女でもかまわないという調教師を探してくれた。しかし、それにはこんな条件がつけられた。
髪も男と同じ、着る物も男の支度、言葉も男の言葉。ばれたらおしまいだと思ってほしい。
女性の人権を守る会などが聞いたらさっそく押しかけて行くにちがいないような条件だが、時代はまだ昭和に入ったばかり。
競馬界っどころか、家の中でさえ女は男のいうことを聞いていればいいという時代だったのだ。
髪を刈り上げ、胸をさらしできつく縛り、朝から晩まで男の中で、練る時も4人の男たちと同じという生活が始まったのは、すみ16歳のときであった。
もちろん男として生活するわけだから、トイレも男性用である。ただ、さすがに風呂は一緒に入らなかったとか。寒い冬でも、濡れタオルで体を拭く程度だったのだろう。
そして3年が経ち、ようやく騎手に挑戦というところで頼みの調教師が倒れて、厩舎も廃業に。
その後、一旦は実家に戻ったもののツテをたどって帝国競馬協会の騎手試験を受け、学科、実地ともに合格したが、免許はおろせないという。
その理由は女だからであった。女は風紀を乱す元凶というわけだ。
そこで、好きでもないのに男のように刻み煙草を吸い、東京よりも進歩的といわれた京都の淀競馬場で再挑戦し、みごと合格した。しかしデビュー3日前に待ったがかかった。
男の騎手を惑わせるセクシーな女性騎手の絵と追い込みとたんに猛烈なウインクの文字、そんな記事が東京の大新聞に出た。そして、女性騎手はレースに出場まかりならぬ。というお達しが届けられたのである。
ついに、幻の女性騎手は、一度もレースに出ることなく、それまでのムリがたたってわずか29年で生涯を閉じたのであった。
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