ダテハクタカ硫酸事件
永山騎手が装鞍所を出たとき、まだダテハクタカに異常はなかった。
ところが、そこから馬と一緒にパドックに向かっている途中、ダテハクタカは何かにびっくりしたように数メートル後ずさりしている。
そのときは永山騎手も気付かなかったが、パドックまで行っても、どうもダテハクタカの様子がおかしい。調べてみると、たてがみ、目、顔、肩にかけて、硫酸を浴びているではないか!
その事件が起こったのは、昭和47年6月4日。中山大障害レースの当日である。ダテハクタカは、このレースの1番人気だった。
実はこの前日、桐花賞の出走馬にたいしても、同様に硫酸がかけられているという事件が起こっていた。
狙われたのは、2番人気のクラチカラで、これは未遂に終わっていた。
硫酸は馬にかかわらずに馬上の三浦騎手にかかっていたのである。場所はやはり、パドックに入る直前ではないかと推測される。当の三浦騎手はそのことにはまったく気付かず、レース終了後に彼の上衣がボロボロになっているのに初めて気がついた。深刻な話題のわりに、この三浦騎手のボケはオイシイ。
ここでこの犯行時の状況を説明せねばなるまい。
中山競馬場の厩舎からパドックに向かう道は、深さ4mの地下道になっている。もちろん屋根がついているのだが、パドックに入る直前、1ヶ所だけ屋根が途切れる部分がある。そこはいわば復路なのだが、パドックに入る直前の近道なのである。中山では、どの馬もこの近道を利用してパドックに入る。そして、この屋根のない近道をダテハクタカやクラチカラが通った瞬間、硫酸は振りかけられた・・・。
犯人は、こうした中山の慣例を知っていたに違いない。ある程度内部の事情に通じていた者が犯人、という推理が成り立つ。
1部にはノミ屋の犯行ではないかという説がある。しかし、これも確証はない。
真相は、今も闇の中である。
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