戦前戦後八百長史
八百長事件というと、昭和40年の山岡騎手の事件があまりにも有名だ。
今でこそこうした八百長はほとんどありえないという環境になっているが、これが戦前戦後のころとなると、八百長花盛りだった。
やはりヤクザがらみが多い。
戦前では審判がヤクザに脅かされたり買収されたりで順位が入れ替えられることがままあったし、北海道では、八百長の約束を守らなかった騎手が山奥まで連れ出されて、首まで埋められたとか。哀れその騎手は顔じゅうを蚊に刺されて、凄まじいご面相になったという。正義を貫いた代償は高くついたようだ。
戦後間もない頃には、替え玉が横行した。強い馬の全身に墨を塗って別の馬の名前で走らせたり、川崎の大師競馬場では似た馬を2頭用意しておいて途中の藪のところから強い馬にバトンタッチするという、なんとも荒唐無稽な珍事もあった。
時代がら、馬にヒロポン(麻薬)が投与されることなどもよくあったし、餌にニンジンの芯をくり貫いておいて、そこにカフェインを詰め込んでおくということもされていた。さらに、バクダンと呼ばれるニンニクの味噌漬を出走直線に馬に食べさせたりすることもあったという。これは人間でも効きそうだ。
山岡騎手八百長事件以降では、昭和52年4月の京都競馬場で行われた障害特別が、比較的記憶に新しい。1番人気だったライオトーカンが1着から30馬身も離されてドンケツに。あまりにおかしいということで尿検査が行われ、果たせるかな、バルビタールという能力減退剤が検出された。ちなみのこの馬、その後人手にわたって行方も知れなくなったという。なんとも哀れな話である。
昔は騎手の1挙手1投足を観れば今日の勝ち負けがわかるといわれたもの。
八百長華やかなりし時代の格言だが、今の時代、あなたは騎手の1挙手1投足から何を読み取るだろうか。
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