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バブル万歳!
バブルなんて話は今は昔の物語だが、わが競馬業界にもこんな話があったとさ。
バブルがはじける前の話である。大きなレースに勝てば、厩舎はもとより、ほとんど無関係と思われるような芸能人や人や新聞・雑誌記者まで招いての祝勝会は当たり前。当然、飲み放題の食べ放題。中には記念の特製ジャンバーや高価な記念品まで配ってしまう剛毅な馬主もいたとか。
また、今も昔も騎手たちが勝てば、馬主をはじめタニマチのような人々からご祝儀が出る。それこそ相撲の世界と同じで、領収証のいらないオイシイお金である。当時のご祝儀がこれまたケタ外れだった。
ある東京の馬主が持ち馬に乗って勝った騎手へのご祝儀として「おれのクレジットカードを貸してやるから、服でも何でも好きなだけ使ってこい」といって、本当にクレジットカードを渡したというのだ。ところが騎手も騎手で「どれくらいでやめていいかわからないから」と、結局使わなかったという。騎手たちも懐具合が暖かく、使おうと思えば際限なく使えたということである。もちろんその他厩舎関係者などもその恩恵に浴して、まさにわが世の春状態だった。
とまあ、ここまでが景気のよかった時のお話。それがバブル崩壊後はというと、馬主がカイバ代を払わないので調教師生活を続けようかどうしようか嘆く人まで出る始末。当然ご祝儀袋も少なくなる一方。こんな時代にクレジットカードを渡してたらと、あのとき使わなかった騎手も思っているとかいないとか。それでも勝てば賞金の5%が入るんだからいいではないか。もちろんしっかり確定申告もするんだぞ。
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札幌カフェイン事件
青天の霹靂という言葉がある。
降って湧いた災難という意味だが、北海道である調教師に、この青天の霹靂が襲いかかった事件がある。
昭和53年、札幌競馬場で3週にかけて3頭の馬からカフェインが検出されるという事件が起こった。すぐに八百長レースか、と関係者一堂は騒然となったが、ふたを開けてみると、そんな生臭い話ではなかった。
競走馬理化学研究所の調査の結果、犯人はあっけなく解明された。馬の添加飼料として出回っているバイプロミンである。それもどうやら、誰かが故意にこの飼料にカフェインを混入したのではなく、何かの手違いで混ざってしまったものらしい。
そうとは知らないその調教師が馬に与えつづけ、カフェイン検出とあいなったわけだ。厩舎関係者に責任を問うのは、ちょっと酷というものだ。
しかしながら、カフェインが混ざっていたということだけは紛れもない事実。実際一時期は、厩舎関係者の故意による裏工作なのではないかとも囁かれ、競馬サークルは真っ青になった。
ことの重大さを感じた競馬会は裁定委員会を開き、その調教師に過怠金10万円を課することで事態の決着をみようとした。
これでおさまりがつかなかったのが東西の調教師会。もともと競馬会オッケーをだした飼料に偶然カフェインが混ざっていただけの話。
カフェインが混じっているかどうかなど素人にわかるはずがない。問題の調教師には罪も過失もないというわけだ。
調教師会から全面的な抗議を受けては、受けて立つ側の競馬会はどうにも頭が痛い。
どうやらうやむやのままに話が立ち消えてしまって広く一般には結末は伝わってこなかったようだが、無理もない。
そもそも、この問題の責任は調教師や競馬会にあるのではなく、添加飼料にカフェインを混入させてしまうというミスを犯したアメリカの飼料会社にあると思うのだが、そこに責任が追求されたという話は聞いていない。
いかがなものだろう。
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・事件の発端: スタート時のゲートの不具合が発生
・結果: 主催者による競走不成立の発表
・暴動の内容: 観客の暴徒化、放火、破壊行為、売上金の強盗事件が発生
・事件の収束: 警察が出動したものの収束せず、機動隊まで出動することに
・被害額: 7600万円の盗難、3600万円の施設損害が発生
・事件の影響: 競馬開催の一時自粛と廃止検討
1974年1月30日、園田競馬場で行われた第8競走で、アングロアラブの強豪馬であるタイムラインとスマノダイドウが対決しました。
しかし、スタート時にゲートが開かず、4頭だけ遅れるというアクシデントが発生しました。
この後、ゲートの調整を行い2度目のスタートが切られましたが、今度はタイムラインとスマノダイドウの2頭だけゲートが遅れて開きました。
カンパイ(一旦レースを中止して仕切り直すこと)を行わずに競走が続行され、スマノダイドウは3位、タイムラインは4位で入線しました。
この結果に対し、観客からスタートの遅れを指摘する声が相次ぎ、主催者は競走不成立を発表しました。
不成立の発表に対し、的中馬券を持つ観客を中心に不満が爆発しました。
本来的中したはずの馬券が無効になったことに対し、観客が不満を爆発させ、一部が暴徒化しました。
多くの観客が「金を返せ!」と叫びながら払い戻し所や馬券売り場に殺到しました。
彼らは競馬場の施設を占拠し、放火や騒動に乗じて売上金の強盗などが発生しました。
事態が収拾つかないほどに悪化し、最終的には機動隊が出動することになりました。
しかし警察の介入にもかかわらず、暴動はしばらく続くことになりました。
この暴動によって第9競走以降は中止され、盗まれた金額は7600万円、施設の損害は3600万円にまで上りました。
この暴動で多くの観客が器物破損、窃盗、放火の現行犯で逮捕されました。
事件を受けて、兵庫県競馬組合は競馬開催を3開催18日間自粛しました。
また、競馬開催そのものの廃止が検討される事態となりました。
この事件は競馬場の運営や治安管理の重要性を再認識させる契機となりました。
当時の競馬場が持つ問題点を浮き彫りにしましたが、現在では競馬場のイメージも改善され、こうした暴動はほとんど見られなくなっています。
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ダテハクタカ硫酸事件
永山騎手が装鞍所を出たとき、まだダテハクタカに異常はなかった。
ところが、そこから馬と一緒にパドックに向かっている途中、ダテハクタカは何かにびっくりしたように数メートル後ずさりしている。
そのときは永山騎手も気付かなかったが、パドックまで行っても、どうもダテハクタカの様子がおかしい。調べてみると、たてがみ、目、顔、肩にかけて、硫酸を浴びているではないか!
その事件が起こったのは、昭和47年6月4日。中山大障害レースの当日である。ダテハクタカは、このレースの1番人気だった。
実はこの前日、桐花賞の出走馬にたいしても、同様に硫酸がかけられているという事件が起こっていた。
狙われたのは、2番人気のクラチカラで、これは未遂に終わっていた。
硫酸は馬にかかわらずに馬上の三浦騎手にかかっていたのである。場所はやはり、パドックに入る直前ではないかと推測される。当の三浦騎手はそのことにはまったく気付かず、レース終了後に彼の上衣がボロボロになっているのに初めて気がついた。深刻な話題のわりに、この三浦騎手のボケはオイシイ。
ここでこの犯行時の状況を説明せねばなるまい。
中山競馬場の厩舎からパドックに向かう道は、深さ4mの地下道になっている。もちろん屋根がついているのだが、パドックに入る直前、1ヶ所だけ屋根が途切れる部分がある。そこはいわば復路なのだが、パドックに入る直前の近道なのである。中山では、どの馬もこの近道を利用してパドックに入る。そして、この屋根のない近道をダテハクタカやクラチカラが通った瞬間、硫酸は振りかけられた・・・。
犯人は、こうした中山の慣例を知っていたに違いない。ある程度内部の事情に通じていた者が犯人、という推理が成り立つ。
1部にはノミ屋の犯行ではないかという説がある。しかし、これも確証はない。
真相は、今も闇の中である。
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シバカオル妊娠事件
いかに深窓の令嬢といえども未婚の母になってしまうことがよくあるが、厳しい閨閥が支配するサラブレッドの世界では、まずそんなことはない・・・・・・ハズなのだが、あったのだコレガ。
いみじくも未婚の母となったのは、レッキとした中央競馬会の登録馬で、大久保良厩舎に所属していたシバカオル号、牝4歳。父タケシバオー、母ミスオールトンというから名だたる血統である。
「お前の馬、ちょっとおかしいぞ。もしかして妊娠しているんじゃないか」
「まさか。でも、たしかに成長期とはいえベスト446キロの馬が498キロまで増えるというのはおかしいよね。おれだってちゃんと調教してるんだから」
というようなやり取りがあったようで、シバカオル号の世話をしていた原田厩務員が競走馬診療所に連れて行ってみると、なんと心音が2つ聞こえたのだ。
「妊娠9ヶ月目ですね」
と妊娠が発覚したのである。しかしすでに妊娠9ヶ月とは。発覚したのが1月24日。デビューしたのは前年の7月14日。ということは、新馬戦のときはすでに懐妊していた計算だ。よくもまあ、流産しなかったもんである。
それはまあいいとして、問題は相手はだれで、いったい何時そんなフラチなことをしでかしたのかということである。
まず、逆算すると時期は出る。彼女が大久保厩舎に入ったのは、その年の5月21日。それまでは黒磯にあるなべかけ牧場にいた。となると、コトがあったのは厩舎か牧場のいずれかということになる。
「ウチの厩舎は牝馬ばかりだったので、妊娠するわけない」
とは先の原田厩務員。
一方なべかけ牧場の牧場長も、
「牝馬と牡馬を別々の柵に入れて管理してるウチでそんなことがあったとは考えられない」
という。
とすれば、これはナザレの馬小屋の中でキリストを生んだマリア様のように処女懐妊だったのか。すると生まれてくる仔馬は・・・。
ナゾはナゾを呼び、話題になったが、血統がモノを言う競馬界において未婚の母は許されない。あわれ母は即刻引退、繁殖馬に。そして生まれてくる子は私生児として、世間から隠されたのである。
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万馬券偽造事件
今では磁気デープの張り付けられたユニット馬券であるが、これが昔は違った。1-3を5枚、1-8を10枚といった具合に全てばらばらに買っていたのだ。
なぜ磁気テープの貼ってある券になったのか。
もちろん、枚数を1枚ですませるためと、偽造を防止するためだ。いくら表面の印刷を加工しても、磁気テープに納められた情報は加工できない。
しかし、その磁気テープつきの馬券へ移行する過渡期には、上手いことを考えつくやつも現れるものだ。
埼玉県の元印刷工、田中憲治は、ほとんどすべての馬券売り場が新しいシステムに切り替わった中で、函館のみが旧来の磁気テープなしの馬券を売っていることに着目した。こちらにも偽造防止の仕掛けはあるが、発光液を塗るとすかしが浮き出てくるという程度のもの。表面の文字が加工してあれば、そこも変色する。
しかし、このチェックには穴があった。まず発光液を塗ること事態がまれだったし、塗る箇所も、レース番、連勝番号の上がほとんどだった。これまでの偽造馬券の多くがこの部分の変造だったので、慣例的にこのようなチェック体制となったのだ。
田中は、日付を加工した。
日付は、券の右肩にあり、すかしもあまりかかっていない。加工するには都合がよかった。
彼は万馬券が出ると、その次のレース日に函館まで飛び、そこで万馬券と同じ馬番の馬券を買い込み、自宅に持ち帰って日付を変造。それを今度は福島に運んで換金した。その結果、搾取した金額は3263万円・・・。
田中の悪運が尽きたのは、昭和58年5月11日。福島市内の喫茶店でウエートレスに偽造馬券の換金を頼んだことが発覚、同18日に逮捕された。
ちなみにこの時の罪状は、有価証券偽造、有価証券行使、詐欺の疑いである。
アイデアはよかった。換金もうまくいった。知能犯のようにみえるのだが、函館やら福島やら、なにかと忙しく飛び回ったこの男、本当にかしこかったのだろうか?
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馬券発売機盗難事件
馬券にはまっている人間にとって、あったらありがたいものが2つある。
1つはタイムマシーン。レースが始まる前に結果が判っていれば、そりゃ勝てる。
もう1つは馬券発売機。わざわざ予想を立てて馬券を買わなくても、結果が出たあとで当たり馬券を作ることができる。これは楽だ。
どちらも着順を予想するという競馬本来の楽しみからは外れるが、儲けることができる。
しかし、タイムマシーンは現実味が薄い。馬券発売機は、競馬場か場外馬券売り場から盗んでくる以外入手する手段がない。そんなことが起きないように警備は厳重にされているから、やっぱり現実味が薄い。
と思ったら、実はこの馬券発売機、過去に1度盗難にあったことがあるらしい。
事が起こったのは昭和50年の3月16日から21日のあいだ。中山競馬場の4階に置かれていた馬券発売機が忽然と掻き消えた。当然、翌日からの払い戻し口での換金作業で、急激に厳重なチェック体制がしかれた。そのおかげで、まったく関係ないところで偽造馬券を作っていた男が逮捕されたりしている。
その男からすればいい迷惑だったことだろう。
もともと、当時の馬券は変造の防止のため開催日ごとに印字される文字や記号を変え、さらに紙やインクそのものも特殊なものを使っていた。紙幣の偽造防止と同じぐらいの厳重な体制がひかれていたのだ。だから、文字や記号の組合せがすべて一致していないかぎり、当たり馬券を作っても換金することは容易ではなかった。さらに、レースが終わるたびに紙とインク、文字と記号のプレートは外されて、別々の場所に保管される。どうやら盗難にあった機械からは抜き忘れられていたらしいのだが。
しかし、馬券には通し番号が打ってあり、盗難された券で当たり券を偽造しても、その番号ですぐにわかる。
実際にその券で換金してもらえるかどうかあやしい。
ちなみに現在は、すべてコンピューターでオンライン化されているので、券売機を盗んだだけでは当たり馬券をつくれない。
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幻の女性騎手事件
女性騎手第一号といえば、昭和44年に18歳でデビューした高橋優子さんということになっているが、実はその30年以上前に幻の女性騎手がいたという。
高橋騎手も女性ゆえの苦労はあったが、昭和初期に女性でありながら騎手を目指すとなると並大抵の苦労ではなかったはずだ。
その苦難の道を進んだのは、大賞2年、岩手県に生まれた斉藤すみという女性。
3歳の頃から馬に乗り、5人の男がかかっても抑えられない荒くれ馬も、彼女の手にかかればビタッとおさまるので馬の生まれ変わりとまでいわれるほどの馬少女だったという。
馬好きがこうじて14歳で馬の仲買人見習いとなったすみは、今度は盛岡市の黄金競馬場で疾走する騎手の姿に魅せられ、騎手になりたいと思ったのである。
そしてある日、親方に打ち明けた。親方は知人を尋ね、才能があれば女でもかまわないという調教師を探してくれた。しかし、それにはこんな条件がつけられた。
髪も男と同じ、着る物も男の支度、言葉も男の言葉。ばれたらおしまいだと思ってほしい。
女性の人権を守る会などが聞いたらさっそく押しかけて行くにちがいないような条件だが、時代はまだ昭和に入ったばかり。
競馬界っどころか、家の中でさえ女は男のいうことを聞いていればいいという時代だったのだ。
髪を刈り上げ、胸をさらしできつく縛り、朝から晩まで男の中で、練る時も4人の男たちと同じという生活が始まったのは、すみ16歳のときであった。
もちろん男として生活するわけだから、トイレも男性用である。ただ、さすがに風呂は一緒に入らなかったとか。寒い冬でも、濡れタオルで体を拭く程度だったのだろう。
そして3年が経ち、ようやく騎手に挑戦というところで頼みの調教師が倒れて、厩舎も廃業に。
その後、一旦は実家に戻ったもののツテをたどって帝国競馬協会の騎手試験を受け、学科、実地ともに合格したが、免許はおろせないという。
その理由は女だからであった。女は風紀を乱す元凶というわけだ。
そこで、好きでもないのに男のように刻み煙草を吸い、東京よりも進歩的といわれた京都の淀競馬場で再挑戦し、みごと合格した。しかしデビュー3日前に待ったがかかった。
男の騎手を惑わせるセクシーな女性騎手の絵と追い込みとたんに猛烈なウインクの文字、そんな記事が東京の大新聞に出た。そして、女性騎手はレースに出場まかりならぬ。というお達しが届けられたのである。
ついに、幻の女性騎手は、一度もレースに出ることなく、それまでのムリがたたってわずか29年で生涯を閉じたのであった。
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中神輝一郎失踪事件
日本競馬界からプッツリと姿を消した騎手、地球のウラ側のブラジルでスタージョッキーとして大活躍していた、なんてことが話題になったのは1975年の新春のことである。
かつてハマテッソを駆って目黒記念、京王杯AHで快勝、若手の有望株といわれた中神輝一郎騎手がその人。同期には郷原洋行、中島啓之たちの名前が見える。
期待の中神騎手は、1967年にブラジルの招待レースに招かれて出走したのだが結果は惨敗。その後、関係者の前からバッタリと姿を消してしまったのである。
「人気ジョッキー謎の失踪」というわけだ。当然、仲のよかった同僚たちの証言が週刊誌上などに集められた。
「あいつにはもともと冒険心みたいなものがあり、青春の夢をかけたんだと思う。」
「親分肌だったので他人の借金を背負って追われていたのでは」
「厩舎の調教師と折り合いが悪かったのでは・・・」
出奔前に飲んだという同僚には「条件さえ折り合えば帰ってこないかもしれない」と漏らしていたという。
実は中神騎手は、帰りの空港で招待された一行の前から姿を消すと、持ち前の強心臓を発揮して大統領や州知事に直訴。ブラジル競馬界への道を自分で切り拓いたのである。その翌年デビューすると、常にリーディングの5位以内、しかも連対率6割というみごとな成績。そして何よりもその騎乗スタイルが人気を呼んだ。
当時のブラジルの競馬は、短距離レースが中心で、ヨーイドンで駆け出してどの馬がバテずに残るかといったもの。展開というものはないに等しい。中神の戦法は、前半抑えて、後半に一気にゴボウ抜きするというもの。これがサンパウロっ子に大ウケ!当時、ブラジル日系社会人界でも一世を風靡していた裕ちゃんこと石原裕次郎バリの人気を博し、ブラジル競馬界の裕ちゃんとまで呼ばれたのである。
その後、中神騎手は、日本とブラジルの競馬界の掛け橋となって両国競馬界の発展のために寄与した。
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戦前戦後八百長史
八百長事件というと、昭和40年の山岡騎手の事件があまりにも有名だ。
今でこそこうした八百長はほとんどありえないという環境になっているが、これが戦前戦後のころとなると、八百長花盛りだった。
やはりヤクザがらみが多い。
戦前では審判がヤクザに脅かされたり買収されたりで順位が入れ替えられることがままあったし、北海道では、八百長の約束を守らなかった騎手が山奥まで連れ出されて、首まで埋められたとか。哀れその騎手は顔じゅうを蚊に刺されて、凄まじいご面相になったという。正義を貫いた代償は高くついたようだ。
戦後間もない頃には、替え玉が横行した。強い馬の全身に墨を塗って別の馬の名前で走らせたり、川崎の大師競馬場では似た馬を2頭用意しておいて途中の藪のところから強い馬にバトンタッチするという、なんとも荒唐無稽な珍事もあった。
時代がら、馬にヒロポン(麻薬)が投与されることなどもよくあったし、餌にニンジンの芯をくり貫いておいて、そこにカフェインを詰め込んでおくということもされていた。さらに、バクダンと呼ばれるニンニクの味噌漬を出走直線に馬に食べさせたりすることもあったという。これは人間でも効きそうだ。
山岡騎手八百長事件以降では、昭和52年4月の京都競馬場で行われた障害特別が、比較的記憶に新しい。1番人気だったライオトーカンが1着から30馬身も離されてドンケツに。あまりにおかしいということで尿検査が行われ、果たせるかな、バルビタールという能力減退剤が検出された。ちなみのこの馬、その後人手にわたって行方も知れなくなったという。なんとも哀れな話である。
昔は騎手の1挙手1投足を観れば今日の勝ち負けがわかるといわれたもの。
八百長華やかなりし時代の格言だが、今の時代、あなたは騎手の1挙手1投足から何を読み取るだろうか。
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ハクホオショウ幻の勝利事件
その事件が起こったのは、1972年12月2日の第9レースのクモハタ記念。圧倒的1番人気はハクホオショウで、専門紙で予想者の大半が◎印を付けていた。
タケデンバードは対抗馬のなかに名を連ねていたものの、あらかた△印どまりだった。中堅どころという評価である。
ところが、実際にレースが始まってみると、その予想に奮起したのかタケデンバードが最終コーナーを曲がった時点でトップにいた。そこにハクホオショウが末脚をのばして襲いかかる。きわどい差のまま両馬はゴール板を抜けた。
騎手はきわどいレースでも着順は正確にわかるものだそうで、タケデンバード、ハクホオショウの両騎手ともハクホオショウのトップを確信していた。
ところが、電光掲示板の着順表の1着には8の文字が浮かびタケデンバードの勝利となった。2着と3着は写真判定となった。
これから話がややこしくなってくる。
記者室には、レース終了後に全レースの判定用写真が届けられるのが恒例になっている。しかしこの日のかぎって第9レースの写真だけがない。そのため記者会見が開かれることとなったが、なぜか開始は予定時刻から55分も遅れた。
競馬会役員の発表では、やはりタケデンバードの1着は変わらなかった。
2着3着の写真判定については、係員のミスで写真が撮影されていなかったと発表した。結局、2着3着の着順については審判の討議によって決定されたという。記者たちに詰め寄られると、その1つ1つに役員はしどろもどろで対応していた。後日、このいきさつについては肉眼で写真判定とスポーツ新聞に皮肉られることとなる。
しかし、ことの顚末として1番有力説はこうだ。
3人の審判は肉眼でタケデンバードの1着は確信したが、2着3着については写真判定しようということになった。ところが写真には2着3着どころか1着2着がひっくり返る結果が、そこでやむなく、撮影を失敗したことに・・・・。
ちなみに、現在は判定写真を撮影するカメラは3台設置されているので、こういう事件が起こる可能性は限りなく少ない。
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金沢競馬電流事件
あまりにも劇画チックな八百長未遂事件が発覚したのは、昭和55年11月24日、石川県の金沢競馬場であった。
その日の最終レースは、10頭だてで行われた。各場一斉にスタートしたのはよいのだが、1枠から4枠までの馬の運びが変なのだ。それに気付いていたのは出走委員の1人。結構まじめに仕事をしているようだが、もしかして八百長をやっているんじゃないかと、レース後に騎手をつかまえて事情聴取に及んだ。すると騎手たちは良い競馬場なのに一瞬、ケツまずいたようになったと異口同音に訴えたのである。
馬場に何か細工がされているのかもしれないと、名探偵の出走委員さんは、所轄の警察と一緒になって証拠探しに加わった。
そして1枠から4枠までの地下10センチのところに、長さ7メートルの電線が発馬ゲート付近から1直線に埋められているのを発見したのである。さらにゲートから約100メートル離れたところにある電灯線と埋没電線とを結ぶコードも発見された。しかもそれにはスイッチボタンが付いており、ボタンを押している間だけ電流が流れる仕組みになっていたのだ。
もちろん名探偵はスイッチを入れてみた。するとどうだ。地中の電線に約50ボルトの電流が流れたのである。たかが50ボルトというながれ。人間にはたいしたことがないかもしれないが、馬には蹄鉄という伝導体を足の裏に打ち付けているのだ。これがビリビリビリッとくる。デリケートなサラブレッドの走りに影響しないわけはないではないか。
犯人はだれだ。馬場内に入ってもだれからも不審に思われず、しかも電気関係に詳しい人物であるところまでは追い詰めたのだが、結局は迷宮入りになってしまったという。
ところで、意外なところで捜査線上にこの電線作戦を使って大もうけした人物が1人浮かび上がった。劇画界の大御所、小池一夫氏が描く「I飢男」である。この劇画の主人公は、その手口でまんまと大金をせしめてアメリカ行きの資金としたのだが、当の作者によれば、地中で計算どおりに電流がながれるか。また電線の上をうまく馬が走ってくれるか。しかも足は1本ではなく2本でなくては意味がないということで、いたずらではないかとのこと。
やっぱり劇画とはいえ漫画は漫画、現実はそうは問屋が卸さないといったところか。
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