万馬券偽造事件
今では磁気デープの張り付けられたユニット馬券であるが、これが昔は違った。1-3を5枚、1-8を10枚といった具合に全てばらばらに買っていたのだ。
なぜ磁気テープの貼ってある券になったのか。
もちろん、枚数を1枚ですませるためと、偽造を防止するためだ。いくら表面の印刷を加工しても、磁気テープに納められた情報は加工できない。
しかし、その磁気テープつきの馬券へ移行する過渡期には、上手いことを考えつくやつも現れるものだ。
埼玉県の元印刷工、田中憲治は、ほとんどすべての馬券売り場が新しいシステムに切り替わった中で、函館のみが旧来の磁気テープなしの馬券を売っていることに着目した。こちらにも偽造防止の仕掛けはあるが、発光液を塗るとすかしが浮き出てくるという程度のもの。表面の文字が加工してあれば、そこも変色する。
しかし、このチェックには穴があった。まず発光液を塗ること事態がまれだったし、塗る箇所も、レース番、連勝番号の上がほとんどだった。これまでの偽造馬券の多くがこの部分の変造だったので、慣例的にこのようなチェック体制となったのだ。
田中は、日付を加工した。
日付は、券の右肩にあり、すかしもあまりかかっていない。加工するには都合がよかった。
彼は万馬券が出ると、その次のレース日に函館まで飛び、そこで万馬券と同じ馬番の馬券を買い込み、自宅に持ち帰って日付を変造。それを今度は福島に運んで換金した。その結果、搾取した金額は3263万円・・・。
田中の悪運が尽きたのは、昭和58年5月11日。福島市内の喫茶店でウエートレスに偽造馬券の換金を頼んだことが発覚、同18日に逮捕された。
ちなみにこの時の罪状は、有価証券偽造、有価証券行使、詐欺の疑いである。
アイデアはよかった。換金もうまくいった。知能犯のようにみえるのだが、函館やら福島やら、なにかと忙しく飛び回ったこの男、本当にかしこかったのだろうか?
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サイト名 |
ホース(Horse) |
販売業者 |
株式会社ダイワ |
責任者 |
大石 勝博 |
所在地 |
東京都目黒区目黒1-5-18 |
料金 |
有料 (ポイント制・無料情報有) |
電話番号 |
0120-712-867 |
メール |
customer@horse-keiba.com |
URL |
http://horse-keiba.com/ |
競馬で本当にあった珍事件まとめ
馬券発売機盗難事件
馬券にはまっている人間にとって、あったらありがたいものが2つある。
1つはタイムマシーン。レースが始まる前に結果が判っていれば、そりゃ勝てる。
もう1つは馬券発売機。わざわざ予想を立てて馬券を買わなくても、結果が出たあとで当たり馬券を作ることができる。これは楽だ。
どちらも着順を予想するという競馬本来の楽しみからは外れるが、儲けることができる。
しかし、タイムマシーンは現実味が薄い。馬券発売機は、競馬場か場外馬券売り場から盗んでくる以外入手する手段がない。そんなことが起きないように警備は厳重にされているから、やっぱり現実味が薄い。
と思ったら、実はこの馬券発売機、過去に1度盗難にあったことがあるらしい。
事が起こったのは昭和50年の3月16日から21日のあいだ。中山競馬場の4階に置かれていた馬券発売機が忽然と掻き消えた。当然、翌日からの払い戻し口での換金作業で、急激に厳重なチェック体制がしかれた。そのおかげで、まったく関係ないところで偽造馬券を作っていた男が逮捕されたりしている。
その男からすればいい迷惑だったことだろう。
もともと、当時の馬券は変造の防止のため開催日ごとに印字される文字や記号を変え、さらに紙やインクそのものも特殊なものを使っていた。紙幣の偽造防止と同じぐらいの厳重な体制がひかれていたのだ。だから、文字や記号の組合せがすべて一致していないかぎり、当たり馬券を作っても換金することは容易ではなかった。さらに、レースが終わるたびに紙とインク、文字と記号のプレートは外されて、別々の場所に保管される。どうやら盗難にあった機械からは抜き忘れられていたらしいのだが。
しかし、馬券には通し番号が打ってあり、盗難された券で当たり券を偽造しても、その番号ですぐにわかる。
実際にその券で換金してもらえるかどうかあやしい。
ちなみに現在は、すべてコンピューターでオンライン化されているので、券売機を盗んだだけでは当たり馬券をつくれない。
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サイト名 |
富豪競馬 |
販売業者 |
株式会社ライズワーク |
責任者 |
若本 富子 |
所在地 |
東京都港区西新橋1-2-9 |
料金 |
有料 (ポイント制・無料情報有) |
電話番号 |
0570-077-111 |
メール |
info@k-rich.jp |
URL |
http://a.k-rich.jp/ |
無料情報だけでも万馬券を続出させる老舗情報競馬サイト
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サイト名 |
勝馬伝説 |
販売業者 |
勝馬伝説事務局 |
責任者 |
堂島 直樹 |
所在地 |
東京都台東区東上野1-7-12 |
料金 |
有料 (ポイント制・無料情報有) |
電話番号 |
0120-937-063 |
メール |
info@l-horse.com |
URL |
http://www.l-horse.com |
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サイト名 |
競馬王義塾 |
販売業者 |
株式会社ライズワーク |
責任者 |
深町 隆 |
所在地 |
東京都港区西新橋1-2-9 |
料金 |
有料 (ポイント制・無料情報有) |
電話番号 |
0570-054-666 |
メール |
info@keibaou.jp |
URL |
http://a.keibaou.jp/ |
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サイト名 |
競馬トレンド |
販売業者 |
株式会社ビジネスアルファ24 |
責任者 |
久保田 峰夫 |
所在地 |
東京都港区南青山2-27-20 |
料金 |
有料 (ポイント制・無料情報有) |
電話番号 |
03-4330-5267 |
メール |
info@kbtr.jp |
URL |
http://kbtr.net/ |
競馬で本当にあった珍事件まとめ
幻の女性騎手事件
女性騎手第一号といえば、昭和44年に18歳でデビューした高橋優子さんということになっているが、実はその30年以上前に幻の女性騎手がいたという。
高橋騎手も女性ゆえの苦労はあったが、昭和初期に女性でありながら騎手を目指すとなると並大抵の苦労ではなかったはずだ。
その苦難の道を進んだのは、大賞2年、岩手県に生まれた斉藤すみという女性。
3歳の頃から馬に乗り、5人の男がかかっても抑えられない荒くれ馬も、彼女の手にかかればビタッとおさまるので馬の生まれ変わりとまでいわれるほどの馬少女だったという。
馬好きがこうじて14歳で馬の仲買人見習いとなったすみは、今度は盛岡市の黄金競馬場で疾走する騎手の姿に魅せられ、騎手になりたいと思ったのである。
そしてある日、親方に打ち明けた。親方は知人を尋ね、才能があれば女でもかまわないという調教師を探してくれた。しかし、それにはこんな条件がつけられた。
髪も男と同じ、着る物も男の支度、言葉も男の言葉。ばれたらおしまいだと思ってほしい。
女性の人権を守る会などが聞いたらさっそく押しかけて行くにちがいないような条件だが、時代はまだ昭和に入ったばかり。
競馬界っどころか、家の中でさえ女は男のいうことを聞いていればいいという時代だったのだ。
髪を刈り上げ、胸をさらしできつく縛り、朝から晩まで男の中で、練る時も4人の男たちと同じという生活が始まったのは、すみ16歳のときであった。
もちろん男として生活するわけだから、トイレも男性用である。ただ、さすがに風呂は一緒に入らなかったとか。寒い冬でも、濡れタオルで体を拭く程度だったのだろう。
そして3年が経ち、ようやく騎手に挑戦というところで頼みの調教師が倒れて、厩舎も廃業に。
その後、一旦は実家に戻ったもののツテをたどって帝国競馬協会の騎手試験を受け、学科、実地ともに合格したが、免許はおろせないという。
その理由は女だからであった。女は風紀を乱す元凶というわけだ。
そこで、好きでもないのに男のように刻み煙草を吸い、東京よりも進歩的といわれた京都の淀競馬場で再挑戦し、みごと合格した。しかしデビュー3日前に待ったがかかった。
男の騎手を惑わせるセクシーな女性騎手の絵と追い込みとたんに猛烈なウインクの文字、そんな記事が東京の大新聞に出た。そして、女性騎手はレースに出場まかりならぬ。というお達しが届けられたのである。
ついに、幻の女性騎手は、一度もレースに出ることなく、それまでのムリがたたってわずか29年で生涯を閉じたのであった。
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競馬で本当にあった珍事件まとめ
中神輝一郎失踪事件
日本競馬界からプッツリと姿を消した騎手、地球のウラ側のブラジルでスタージョッキーとして大活躍していた、なんてことが話題になったのは1975年の新春のことである。
かつてハマテッソを駆って目黒記念、京王杯AHで快勝、若手の有望株といわれた中神輝一郎騎手がその人。同期には郷原洋行、中島啓之たちの名前が見える。
期待の中神騎手は、1967年にブラジルの招待レースに招かれて出走したのだが結果は惨敗。その後、関係者の前からバッタリと姿を消してしまったのである。
「人気ジョッキー謎の失踪」というわけだ。当然、仲のよかった同僚たちの証言が週刊誌上などに集められた。
「あいつにはもともと冒険心みたいなものがあり、青春の夢をかけたんだと思う。」
「親分肌だったので他人の借金を背負って追われていたのでは」
「厩舎の調教師と折り合いが悪かったのでは・・・」
出奔前に飲んだという同僚には「条件さえ折り合えば帰ってこないかもしれない」と漏らしていたという。
実は中神騎手は、帰りの空港で招待された一行の前から姿を消すと、持ち前の強心臓を発揮して大統領や州知事に直訴。ブラジル競馬界への道を自分で切り拓いたのである。その翌年デビューすると、常にリーディングの5位以内、しかも連対率6割というみごとな成績。そして何よりもその騎乗スタイルが人気を呼んだ。
当時のブラジルの競馬は、短距離レースが中心で、ヨーイドンで駆け出してどの馬がバテずに残るかといったもの。展開というものはないに等しい。中神の戦法は、前半抑えて、後半に一気にゴボウ抜きするというもの。これがサンパウロっ子に大ウケ!当時、ブラジル日系社会人界でも一世を風靡していた裕ちゃんこと石原裕次郎バリの人気を博し、ブラジル競馬界の裕ちゃんとまで呼ばれたのである。
その後、中神騎手は、日本とブラジルの競馬界の掛け橋となって両国競馬界の発展のために寄与した。
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サイト名 |
ファーストトラック(FAST TRACK) |
販売業者 |
ファーストトラック |
責任者 |
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所在地 |
東京都渋谷区恵比寿1-8-8 |
料金 |
有料 (ポイント制・無料情報有) |
電話番号 |
03-6271-6910 |
メール |
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URL |
http://fast-track1988.com/ |
競馬で本当にあった珍事件まとめ
戦前戦後八百長史
八百長事件というと、昭和40年の山岡騎手の事件があまりにも有名だ。
今でこそこうした八百長はほとんどありえないという環境になっているが、これが戦前戦後のころとなると、八百長花盛りだった。
やはりヤクザがらみが多い。
戦前では審判がヤクザに脅かされたり買収されたりで順位が入れ替えられることがままあったし、北海道では、八百長の約束を守らなかった騎手が山奥まで連れ出されて、首まで埋められたとか。哀れその騎手は顔じゅうを蚊に刺されて、凄まじいご面相になったという。正義を貫いた代償は高くついたようだ。
戦後間もない頃には、替え玉が横行した。強い馬の全身に墨を塗って別の馬の名前で走らせたり、川崎の大師競馬場では似た馬を2頭用意しておいて途中の藪のところから強い馬にバトンタッチするという、なんとも荒唐無稽な珍事もあった。
時代がら、馬にヒロポン(麻薬)が投与されることなどもよくあったし、餌にニンジンの芯をくり貫いておいて、そこにカフェインを詰め込んでおくということもされていた。さらに、バクダンと呼ばれるニンニクの味噌漬を出走直線に馬に食べさせたりすることもあったという。これは人間でも効きそうだ。
山岡騎手八百長事件以降では、昭和52年4月の京都競馬場で行われた障害特別が、比較的記憶に新しい。1番人気だったライオトーカンが1着から30馬身も離されてドンケツに。あまりにおかしいということで尿検査が行われ、果たせるかな、バルビタールという能力減退剤が検出された。ちなみのこの馬、その後人手にわたって行方も知れなくなったという。なんとも哀れな話である。
昔は騎手の1挙手1投足を観れば今日の勝ち負けがわかるといわれたもの。
八百長華やかなりし時代の格言だが、今の時代、あなたは騎手の1挙手1投足から何を読み取るだろうか。
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サイト名 |
リファンド(REFUND) |
販売業者 |
株式会社アンビシャス |
責任者 |
石川 直樹 |
所在地 |
東京都豊島区南大塚2-11-10 |
料金 |
有料 (ポイント制・無料情報有) |
電話番号 |
03-6869-9244 |
メール |
info@refund.jp |
URL |
http://www.refund.jp/ |
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